「自閉症スペクトラムは障害ではない〜」その理由と背景

先日、自閉症スペクトラムに関するとても興味深い記事を見つけました。

まさに「その発想はなかった」と驚いた内容の話もあり、これはこれで一つの「筋の通った」考え方として尊重してもいいような気がします。

スポンサーリンク

自閉症スペクトラムが障害ではない理由とは

現状では自閉症スペクトラムは先天性の脳の障害とされていますが、この記事を書かれた正高信氏の着眼点は、今までの自閉症スペクトラムに対する固定観念を打ち消すぐらい、良い意味でぶっ飛んだ見方をしているように思いました。

氏はまず、冒頭にあったように自閉症スペクトラムは

 

生物としての人類のバリエーション(変異)のひとつである。

 

とバッサリ切り捨てていますが、その理由を大雑把にまとめると

 

  1. 障害は「遺伝的要因」によって生ずるのが定説だか、自閉症スペクトラムの発症率は他の遺伝的障害(1〜2万人に1人程度)と比較すると1〜2%と極端に大きい
  2. 障害であればダーウィン流の「淘汰」が働くにもかかわらず、他の遺伝的障害のように淘汰されず現代に多く存在している

と、今こうして多数の自閉症スペクトラムの人が存在している理由を説明しています。

これをもっと要約すると

 

正高信男氏
自然界じゃ障害は淘汰されてくけど、自閉症スペクトラムは淘汰されてないじゃん? だから障害とは違うんだわ

 

ってことなんですよね。妙に説得力があるような気が。

 

少数派が故、同調圧力に潰される

自閉症スペクトラムを障害と一括りにするのはちょっと強引な部分があるでしょう。

そもそも自閉症スペクトラム自体、どんな障害か未だ完全に解明されていないわけですし、中には健常者よりも秀でた能力を持ち合わせている方もいるぐらいなのですから、その「秀でた能力」を障害としてしまうのは早計です。

 

 

もちろん、その秀でた能力を持つ自閉症スペクトラム者だけを切り取って話をすることも良くありませんが、健常者にも個性があるように、自閉症スペクトラム者も個性があるわけなので、ここの部分はきちんと分けて考えなければいけません。

ただ、自閉症スペクトラム者は社会的には「少数派」です。

 

ただし量的には社会的周縁で生活するのに適応したような存在は、全体のなかで相対的に少数でこと足りる。おのずと全体のなかでマイノリテイとなる。

他方、いわゆる「健常者」が多数派を占めることとなる(ニューロダイバーシテイの考え方では、彼らのことを指して「定型脳を保持している(ニューロティピカル neurotypical)、略してNT」と表記する)。

そして有史以降、時代を経るにつれてNTの人たちがマイノリテイを駆逐し、自分たちにのみ都合の良い状態へ生活環境を変えてきたというのが,今日の先進国社会の状況にほかならない。

 

こうした背景、特に日本に関して言えば同調圧力が異様なほど強い社会性を持っているので、異質、異形な者に対してはそれを迫害するという悪しき文化が古くから根付いています。

 

差別意識はそこらじゅうに蔓延っている

現在、特にネット上においては、一般論からやや剥離した価値観や考えを述べるだけで「アスペ」と呼ばれ、アスペルガー症候群でない人もなんの根拠もなく厄介者=障害者というレッテルを貼られてしまうケースを目の当たりにしますが、これぞまさに自閉症スペクトラムに対する迫害以外の何物でもありません。

そのような現代の社会情勢を、氏は京都市独自の景観条例を例に出し、

 

やる気さえあれば工夫次第で、環境改善はいくらでも可能であることの実例ではないかと私は考えている。

 

と締めくくっていますが、本当にその通りだと思います。単純なやる気だけの問題だけなんですよね。

 

出典:esuteru.com

 

あとはそのやる気をどう出すか、これこそ官民一体で取り組むべき問題だとは思うのですが、そう考えると余計にうまくいかなくなる気がするような……嘆かわしいことですが。

だからこそ「自閉症スペクトラムは障害ではない」という論調が必要なのかもしれません。


よく読まれる記事