発達障害生徒に侮辱発言をした教諭を告訴 長崎純心女子高等学校

ネットでちょっとした論争を起こしているニュースがあります。

 

 

告訴するに至った経緯を客観的にきちんと把握してから述べる必要はあるんでしょうけど、ネット上ではどことなく親側に非があるような風潮になっていますね。

発達障害者に見合うべき場所

ADHDやLD等問わず、発達障害はその名の通り立派な障害です。

それも先天的な脳機能の障害なのですから、今後その障害が治ることはなく、何かしらのサポートを必要としなくては、生活していく上で様々な摩擦を引き起こしてしまうでしょう。

そういった意味では、この教諭が言った

 

「あなたに合った学校を考えたらどうか」

 

との言葉は適切な指導、判断だったと思います。個々人の特性を尊重しているならば。

ただ、本当に言ったのかどうとかはわかりませんが、

 

「障害者が来る学校ではない」

「ほかの学校に行った方がいい」

 

これは行き過ぎな発言です。

 

長崎純心女子高等学校 出典:mizokamisekkei.co.jp

 

そもそも普通に受験してこの学校に入学しているのですから、それを今更「他の学校に行け」と一教諭が話をするようでは……。

転校が必要ならば、道義的に正当な理由がなければならないことですし、ここら辺は実際問題どうだったのか、慎重に考えるべき部分でしょうね。

 

生徒側と学校との食い違い

正直、これは言った言わないの水掛け論なので、どちらが正しいとか間違っているとか、外野があれこれ言うことではありませんが、学校側が一部発言を認め謝罪しているわけですし、実際に生徒もかなりのショックを受けているようなので行き過ぎな部分はあったと思われます。

 

 教諭は「生徒への共感や思いやり、配慮が足りなかった。申し訳なく思っている」と話しているという。学校側は「不適切な発言のため、心情を害する状況になり申し訳ない。今後、当時教諭のクラスにいた生徒や保護者へのアンケートなどを行い、対応していきたい」と話した。

 

とまあ、これで一件落着となればよかったのですが、どうも生徒の親御さんはこれでもまだ不満を抱いているらしく、告訴=人権救済の申し立てという手段を選択したのでしょう。

親心としては、可愛い娘が教師の不当な発言で傷ついたのですから、その気持ちはよく理解できます。

 

どちらが悪者かの問題ではない

双方の言い分の食い違いはあって当然だと思いますし、それは今後明らかにされていくのですから、これも外野が首をつっこむ話ではありません。

……が、一つ言わせてもらうならば、この手の問題はどちらが悪者なのかという論調で片付けてはいけないことです。

寛容性が失われつつある現代社会では、いかに悪者を作り出し、それを(各々のストレスの発散として)吊るし上げるかのような論調が目立ちますが、その論調を先行させてしまうと

 

定型発達(健常者)VS発達障害者

 

といった対立問題を生んでしまうからです。

 

 

どちらが優れていてどちらが劣っているのか、そんなものは考えようによってはいくらでも優劣を決めつけられます。そもそも人間なんてものは、障害の有無に関係なく誰だって弱い部分を持ち合わせているんですからね。

なので、そ弱い部分だけにスポットを当てて「お前はダメだ」と決め付けるのは、これはもう人外のすることでしょう、心身ともに健全な人間ならばそんなことは間違ってもしないはずです。

ただ哀しいかな、現実はそうではありません。

 

健常者と障害者の共存

こと日本は同調圧力が強い国であり、精神的に未発達な人間が非常に多いせいなのか、人の弱みを握っては弱い者イジメを繰り返す、そんな光景が各地で繰り返され続けています。これじゃ何が問題になっているのかわからなくなると思いませんか?

健常者と障害者が共存共栄するには、「お互い様」「譲り合い」の精神を持つことが一番大切だとは思うのですが、こうもばかりが目につくということは、実は定型発達(健常者)の立場にいる人こそが障害者だった……なんて勘ぐっちゃうぐらいです(呆)

 

 

弱肉強食=資本主義の弊害なのかなんなのか、年を追う毎にギスギスした世の中になっていますが、こうなってしまったことはもう仕方ありません。なんというか、持ちつ持たれつの精神でいること自体が「時代とマッチしない考え」になってしまっているんでしょう。

健常者と障害者の双方が健全に生活できる社会を構築することか、人間が人間である証になるとは思うんですが、もうそういう時代は終わってしまったように感じることが日に日に多くなっています。

なんだか残念ですね。