【相模原殺傷事件】植松聖被告の獄中手記が出版

2016年7月、相模原市緑区の障害者施設『津久井やまゆり園』で起こった凄惨な事件は記憶に新しいところですが、その主犯となった植松聖被告の獄中手記が出版されるとのことで、様々な議論を呼んでいます。

 

 

あれから2年、植松聖被告の主張は「障害者は要らないから殺した」と一貫しており、この手記も恐らくはそのような内容なものになるものと推測できますが、改めてこの事件について考えてみたいと思います。

出版社の言い分

どうしてこのような手記を出版するに至ったのか、まずはその辺を読み取ってみましょう。

 

書籍化を予定している出版社の篠田博之編集長は、出版の趣旨について「事件は障害者差別や措置入院などの深刻な問題を社会に投げかけたにもかかわらず風化しつつある。この間、被告と接見しわかってきたことや社会に与えた影響などをきちんと提示することが必要だと思っています」と説明しています。

 

相模原殺傷事件は19人もの方が殺害されたのですが、この数字は戦後の殺人事件では最も多い数字であり、戦後最悪の殺人事件と言われているのにもかかわらず、風化している印象は確かに受けます。

そう考えれば、

 

そのうえで「被告の主張が手紙などで公開されることで、被害者やその家族がつらい思いをすることがあるかと思いますが、そこに配慮したうえで被告の考えをどう批判して乗り越えていくのか、議論を起こし社会で考える材料となる本にしていきたい」と話しています。

 

この出版社側の言い分は的を射たものであると思います。いい加減臭い物に蓋をする考えは捨てて、社会全体で考えるべきである、と。

 

被害者遺族の方々や障害者の中には、植松聖被告の主張だけが一人歩きし「障害者は要らない」といった同じ論調が強まることを懸念されているようですが、私個人としては、むしろそのような論調をこれを機にあぶり出し、この国の社会が抱える闇の部分を洗いざらいにしてしまった方が、長い目で見れば暮らしやすい社会が生まれるように感じています。

 

優生学の善悪

ところで当時も記事にしましたが、植松聖被告の頭の中には優生学があったと言われています。

 

 

あまり小難しく考えるのも大変なので簡単にまとめますが、優生学は欠陥だらけの思想であり、結果として種の維持ができなくなることが証明されています。

例えば競走馬を題材にしてみましょう。

 

 

周知の通り、競走馬となる種はサラブレッドですが、このサラブレッド種は速く走ることだけを目的として品種改良された、ある種の優生学に基づいて人の手によって生産されている馬です。

そのため、馬本来が生きる目的とは程遠い種の馬=経済動物になっているのが現実でして、仮に競馬がこの世からなくなったらサラブレッドは種を保存することがほぼ不可能となってしまうような、自然の摂理に当てはまらない動物になっているんです。

これは競走馬だけでなくペット全般に言えることなんですが、優生学というのは何かしらの援助や補助がないと生きていけない種しか生み出さなくなりますので、これを人間に当てはめてしまうと……どうなるか考えただけでも恐ろしくなりますよね。

 

障害者不要論は破壊的理論

話はやや脱線してしまいましたが、とどのつまり、植松聖被告が現代社会に問題提起したのは「障害者の存在」なのでしょう。

障害者を不要とするのか必要とするのか、単純にそれだけの考えなんですが、物事というのは単純なほど答えを出すことが難しいものです。

結果として植松聖被告は「障害者は要らない」といった理由でこのような惨劇を起こしましたが、万一このような論調が正当化されるようなことになると、人間の存在自体を否定することになりかねません。

なぜならば、

 

程度の違いこそあれ、人間は何かしらの障害を必ず抱えている

 

からなんです。

現に植松聖被告も自己愛性パーソナリティ障害を抱えているわけですし、かく言う私も、弱視とまではいかないにしても、眼鏡という医療器具無しでは日常生活が送れない障害者です。(ちなみに裸眼で0.01、度の強い眼鏡を使用しても0.8ぐらいしかありません)

要するに、完全無欠な人間なんてこの社会には誰一人と存在していない以上、障害者不要論というものは人間自らの存在を否定する破壊的理論であり、文化的かつ健全な社会を作るには不毛の理論でもあるんですね。

 

まとめ

破壊的理論の不毛さに気づいて初めて、人間が人間らしく生きられるというものなんですけど、最近の人達はどうにも思慮の浅い人が目立つようでして……。

障害者は社会にとって不要なのかどうかを語るのではなく、人間が人間であるためにはどのように共生していくかを先に論ずるべきなんですが、未だに植松聖被告の論調を肯定する人間は後を絶ちません。いや、むしろ増えているんじゃないでしょうか。

 

なんとももどかしい限りですが、障害者不要論が出てくる以上、やはり今の日本社会は健全な社会として機能していない証拠です。社会、そして人間が成熟しきるのはまだずっと遠い先の話なのかもしれません。

いったいどこでこんな社会になってしまったのか、そろそろ気づかないと本当にヤバい社会になってしまうというのに、どうしたものなのか……やれやれですね(苦笑)

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Posted by チャーリー