「居場所」ができたことの大切さ

にっちもさっもいかない状況から、ふとしたことで足を運んだ市の発達障害者支援センター。

ここで何か特別なことをしてもらったわけではないのですが、センターで紹介された社会福祉法人(障害者地域活動支援施設)に行くようになってから、妻の精神状態がかなり落ち着くようになりました。

 

 

障害者でも安心して通える社会の「居場所」ができたという「安堵感」が、妻にとっては大きなプラスになったのでしょう、その妻がどう変化していったのかをざっとお話ししたいと思います。

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外の世界に踏み出す

ASDな妻が一番苦手としているのはコミュニケーション(対人関係)です。

初対面の人と話をするなんてもってのほか、見知らぬ人が目に入るだけで緊張してしまうので、どうしても家の中に引きこもりがちでした。

それはそれとして、通院後もしばらくはそんな状態が続きました。

担当医とそれなりの会話ができるようになるまでに3か月は要したでしょうか。とにかく周囲の視線というものを気にしすぎるので、それだけで随分と神経をすり減らしていましたね。

 

 

ただ、精神的負担は投薬でかなり改善されたものの、肝心なコミュニケーション能力は変わらないまま。

まあ、これはASDの特徴でもあるので仕方ない部分はあるのですが、スーパーで買い物すらままならない状態では、お世辞にも健全な社会生活を過ごしているとは言えません。

そんな状態をよく知る担当医も「少しずつ外の世界に目を向けた方がいい」と話してくれたように、健全な社会生活を営むためにも、ある程度外出させることは必要と私は考えていたので、先の支援センターに足を運んだ、という次第です。

 

障害者を分け隔てることなく迎え入れてくれた

そして支援センターで障害者地域活動支援施設を紹介してもらい、電話予約をしてから妻と二人で向かいました。

元々は高次脳機能障害者とその家族を支援する施設なのですが、その高次脳機能障害者向けのSST(ソーシャル・スキルズ・トレーニング)を定期的に行っているだけでなく、菓子作りから書道といった趣味の集まりも定期的にしていたりと、その名の通り地域に住む障害者を分け隔てなく受けて入れてくれるような施設でした。

 

 

もちろん発達障害者や精神障害者に対しても門戸を広げており、職員もしっかりとした知識を持っている印象を受けたので、一時間ほどの面談をしたのち、その日に行われた手話教室に二人で参加してからその日は家路につきました。

 

さて、肝心の妻の気持ちですが、

 

あそこなら通えるかもしれない

 

と話してくれたので、その後は妻の体調と相談しつつ、妻が参加できそうなプログラムを中心に、月に数度通うことに決めました。

 

妻自身が自分の存在を認めた

その施設では日替わりで様々なプログラムを組んでいるのですが、強制的に参加するようなプログラムは一切なく、参加者の都合ですべて自由に決められるので、その点も妻にとっては良かったようです。

さすがに大勢が集まるようなプログラムには参加できませんでしたが、少しずつ参加できるプログラムを増やしていった結果、自らが進んでSSTに参加するようになるなど、引きこもりがちだった妻が良い方向に変わっていくのを、私はもとより妻自身が一番感じるようになりました。

「どうしてここまで変わることができたのか?」

いろいろ手を尽くした感があった私には嬉しい誤算だったわけですが、妻曰く、

 

私がどんな人間なのか、客観的に考えられるようになった

 

とかなんとか。

ASDの特徴として、客観的に物事を捉えにくいといった点が挙げられますが、自宅とは別な世界に住む第三者と接することで、客観的にASDであることが再確認できたのが一番大きかったようです。

考えてみれば、今までは医者と私ぐらいしか障害のことを話す機会がなかったわけですからね。

 

周囲の理解と協力があってこそ

ただ、妻がそう「肯定的」に自分のことを考えるようになったのも、施設のサポートがあったからに他なりません。

元来妻は「否定的」な考えばかりが先行してしまう超ネガティブな人間でしたが、そう考えられるようになったのは、ASDという障害の特性をきちんと理解して接する身内や医者以外の人間=施設職員がいたからであり、もし何のサポートもなしに外の世界へ踏み出していたら、すべてが水の泡になったことでしょう。施設と職員さんにはただただ頭が下がる思いです。

 

 

そんなこんながあり、障害者が健全な社会生活を営むには、改めて「周囲の理解と協力」が必要不可欠なんだなと考えさせられましたが、妻の件はたまたま「幸運」が重なった結果であり、現実は厳しいものであることに変わりはありません。

また、最近は「障害者」を盾にに傍若無人に振る舞う大バカ者が増えているので、「障害者差別はなくそう」という表向きとは裏腹に、障害者に対する風当たりは強くなっているような気さえします。

そんな現代社会で、健常者と障害者のそれぞれが等しく健全に生活を営むには何が一番大切なのか、建前でなく本音で議論する時期が訪れているのかもしれませんね。


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Posted by チャーリー