「お墓はいらない」変わりゆく供養への意識

最近は葬儀だけでなく、お墓に対する考え方も随分変わってきているようですね。

 

古いしきたりに金に汚い住職… お墓はもういらない!

核家族化で先祖供養への意識が薄れる中、継承者がいなかったり、地方にあって管理が大変だったりする墓を片付ける人が増えてきた。2030年に年間死亡数が160万人を突破するニッポン。新しい供養のあり方とは。

「初めて見た墓の中は暗くて汚くて、こんなところに入るなんてかわいそうに感じた」

3年前に父を見送った自営業者のAさん(男性、41)は、納骨の時をこう振り返る。Aさんの宗派では骨壺ではなく、遺骨を直接墓の中に入れる。先祖の遺骨の中に父の遺骨をガサッと入れてしまうと、どれが誰の骨かもわからなくなってしまった。

建設コンサルタントとして途上国を転々としながら国際協力に携わっていたAさんの父は、大好きな南アフリカの海に散骨されることを望んでいた。納骨する分とは別に取っておいた遺骨を、早く父が望む海に連れていってやろうと決意した。

引用元:AERA
http://dot.asahi.com/aera/2016080800185.html

お墓を持つことに対する日本の風潮

これには賛否両論あるかと思いますが、私は断然「お墓は要らない派」です。

私達夫婦に子供がいないというのもありますが、仮にいたところでこの考えは変わらないでしょうね。

生臭坊主を儲けさせるだけの墓なんか百害あって一利なし。残された人たちにとって少しでも精神的、経済的負担を与えるのであれば、どこか適当な広い海にでも散骨してもらえれば十分だと考えているからです。

 

 

ただ、世の中はそれを良しとしない風潮が根強く残っています。「先祖供養しないとバチが当たる」とか、まるで霊感商法に洗脳されたかのようにお墓を持つ、守ることを強制するような風潮が。

 

お釈迦様=シャカが本当に伝えたいこと

そもそも、仏教においては先祖供養の概念は一切ありません。

多分、大多数の日本人が先祖供養することが仏教の基本と捉えているかもしれませんが、先祖供養するために墓を建てるというのは仏教ではなく儒教の教えなんです。

その儒教についての話は割愛しますが、まずは仏教の大原則を知る必要があるでしょう。

周知の通り、仏教とはシャカ(お釈迦様)によって開かれた教えです。

そしてシャカは修行の中で悟りを開き、「人間が生きる世界は輪廻(りんね)の輪の中にある」と弟子たちに伝えました。
これを輪廻思想と呼ぶのですが、簡単にこれを説明すると、

 

「人間は死後、天上界・人間界・修羅界・畜生界・餓鬼界・地獄界のいずれかに生まれ変わり続けるが、この輪廻から抜け出すには悟りを開いて(解脱して)成仏しなければならない」

 

シャカ「お前ら少しは俺の言うことを守れよ……な!?」

 

ということでして、人間の死後は「輪廻の輪の中にいる」か「解脱して成仏している」かのいずれかしかないということなんです。

 

ねじ曲げられた日本の仏教

さて、シャカの伝える仏教では人間は死後、中有(ちゅうう)という期間に入るのですが、この期間中にその人間の生前の善悪によって次に生まれ変わる世界が決まるとされています。

ちなみに次に生まれ変わるのは死んでから四十九日目のこと。そこでこの間、少しでも良い世界に生まれ変われるようにと僧によって七日間ごとに供養が行われるわけなんですね。

となると、人間は死後、四十九日目に輪廻して別な世界に生まれ変わっていることになるわけでして、シャカは「死後の人間の肉体は単なる抜け殻でしかない」と考えたそうです。

なるほど、これは大いに納得できます。だって、別な人間や生き物に生まれ変わるんですから。

遺体は単なる抜け殻である……これがシャカの教えであり、そして仏教の大原則だとすれば、遺骨だろうと灰だろうと、それは何の用もない「不要な物」のはずです。

にもかかわらず、どうして日本の(インチキ)仏教は、全く別な人や生き物に生まれ変わったであろう故人を四十九日以降も供養し、かつ墓石を立てて故人の亡骸を大切にするよう説き伏せるのか、大きな疑問を感じませんか?

 

ビジネスのための「仏教」

勘の良い方はもうお気づきだとは思いますが、結局これって、生臭坊主が金儲けするためにとって付けた「都合のいいルール」にしか過ぎないんですよね。

 

 

おまけに「仏教」という看板を悪用し、それを盾に傍若無人な振る舞いをしているのですから、これはもうシャカの教えを伝えているどころか、シャカの顔に泥を塗りたくる行為と言ってもいいでしょう。

それぐらい日本の仏教というのは胡散臭い宗教なんです。織田信長公の気持ち、今は痛いほどわかります(笑)

とまぁ、日本の仏教にはこんな背景がありますので、私はお墓はいらないと考えているんですが、この「お墓はいらない」は仏教上、実はごくごく当たり前の考えであり、ある意味忠実にシャカの教えを守っている考え方とも言えるんじゃないでしょうか。

そしてこの大事なことに気づく人が増え始めているということは、仏教的には大変好ましいことだと私は考えています。

雑記帳

Posted by チャーリー