映画『レインマン』を観た感想

今更ながらではありますが、ダスティ・ホフマン、トム・クルーズ主演の映画『レインマンをDVDで観ました。(ネタバレも含みます)

このレインマンは1988年にアメリカで公開され、アカデミー賞、ゴールデングローブ賞、ベルリン国際映画祭にて作品賞を受賞した名作です。

 

出典:GOISBLOG

 

この作品の発表当時は自閉症という言葉はアメリカでもそれほど広く認知されておらず、レインマンが公開されたことでこのような障害を持つ人を「レインマン」と呼ぶようになるなど、社会的に非常に大きな反響を呼んだ映画でもあります。

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レインマンのあらすじ

さて、レインマンのあらすじを簡単にまとめましょう。

クルマ屋を経営するチャーリー(トム・クルーズ)が疎遠になっていた父の訃報を聞きつけ、父の遺産相続の問題からとある病院の施設へ行くと、そこで自閉症の兄、レイモンド(ダスティ・ホフマン)と出会います。

父の遺産をほぼ相続したレイモンドを良しとしないチャーリーは、レイモンドを施設から無理やり連れ出して遺産を手に入れようと計画するのですが、その旅の過程の中で少しずつレイモンドに対し兄弟愛が芽生え、やがては兄弟二人で暮らすことを決意しようとします。

 

出典:GOISBLOG

 

ただ、レイモンドは一般社会で生活することは困難と判断され、結局は元の施設に戻ることになってしまいましたが、チャーリーは心の通わないはずのレイモンドと二人の間に「絆」を感じ取り、施設の医師とともに電車で旅立つレイモンドを見送りました。

……とまあこんな感じで映画は幕を閉じるのですが、まず私が驚いたのは、この作品のカメラワークでした。

 

随所に見られたリアルな描写

ところで今年の春、私はこんな記事を見かけました。自閉症の子供の視線を映像化した、という内容の。

 

 

自閉症の人は全体像を掴むことが苦手とされ、ある一点に視線を奪われがちなのですが、この記事の動画とほぼ同じようなカメラワークが幾つかあったんです。

もう28年も前の映画だというのに、これには愕然としました。

これは私の妻にも似たような部分があります。

簡単に言うと「木を見て森を見ず」ですね。気になったものに過集中するせいか、他のことにまで頭や視線が回らず、歩いていると躓いたり電柱にぶつかったりすることがありますから。

話を戻しましょう。

チャーリーはレイモンドとコミュニケーションがうまく取れないことに、様々な場面でイライラ感を募らせます。(これが溜まりに溜まるとカサンドラ症候群に陥ります。参考までに)

それでヤケを起こしたり、キツい台詞を吐き捨てたりしますが、レイモンドはそんなのは全くお構いなしに、自分の世界観の中で淡々と生き続けます。

 

出典:アンティークウォッチライフ

 

ここら辺の描写も凄いと感じました。

自閉症の人は基本的に感情表現ができませんから(全くない人もいます)、例えばチャーリーと恋人のスザンヌのベッドシーンを見ようとも、カジノで合うと約束した娼婦に会えなかったとしても、これといった感情を表に出しません。実に忠実に自閉症の人の特徴を再現してると思いました。

それと感情については全く無いとういうわけではなく、レイモンドがパニックを起こすシーンが出てきますけど、これなんかまさにそのまんま。

妻もそうですし、障害者施設に勤めていた時も自閉症の人が引き起こすパニックは散々目にしてきましたから。

そんな感じに物語は進み、幼い頃の記憶に存在したレインマンが兄と知ってからは、チャーリーはレイモンドと一緒に暮らすことを望むようになります。

……が、現実はそうはいきませんでした。

レイモンドは一般社会で生活するのは無理と審問会で結論づけられ、兄弟はそれぞれの別な道で生きて行くことになりました。

これが映画レインマンの出した「真の答え」だと思うのですが、これは自閉症を知る人とそうでない人とで大きく意見が分かれるでしょうね、きっと。

 

ラストシーンの本当の意味

恐らく大多数の人は

 

「自閉症でも最後には兄弟の心が通い合った」

 

と思うでしょう。しかし、それは大きな間違いです。

レイモンドは重度の自閉症患者ですが、これぐらい重度になると、円滑なコミュニケーションをとることはほぼ不可能。コミュニケーションが取れたように感じるのは健常者側から見た希望的観測であり、当のレイモンドにしてみれば「言われたことをやった」程度にしか捉えていないのです。

それが最後の電車のシーンに凝縮されています。

まず、レイモンドの担当医師であるウォルター医師が言った言葉をレイモンドは忠実に守っていました。時間が来てきちんと電車に乗ることができたのは、何よりもレイモンドの特性を一番よく理解していたのかウォルター医師のおかげだったということです。

また、ウォルター医師がレイモンドに「Kマートはどうだった?」と問いかけるシーンで、レイモンドは「最低だ」と答えますが、これも大きく意見が分かれる部分となるでしょうね。

旅の途中、チャーリーは「Kマートは最低だ」とレイモンドに吐き捨てるシーンがありましたが、ラストのシーンでレイモンドがどのような心境でそう言ったのか、これは自閉症の人によく見られるオウム返しだった可能性がとても高いです。

自閉症を知らない人からすれば「心が通じ合った」と感じるのかもしれませんが、重度の自閉症患者レイモンドにしてみれば、あれは反射的に出たセリフであり、少なくともコミュニケーションを取ろうとしてチャーリーに言ったセリフではないんです。

 

この映画が健常者に訴える部分とは?

そんな、どちらとも取れる終わり方をしたのも「あえて」そうした部分はあったと思います。良い意味で「いやらしく」視聴者に問いかけたわけなんです。

それと同時に

 

「実際問題、お前らは自閉症の人を受けられるのかい?」

「一緒に同じ社会で暮らすことができるのかい?」

 

とも。

それぐらいこの映画は緻密に描写されていました。

 

 

ただ、私も自閉症である甥っ子とアスペルガーな妻の存在がなかったら、この映画を見れば「自閉症の人とも通じ合えるんだ」と安易な考え方しかできなかったでしょう。

で、真の意味を理解しないまま「感動した」の一言で片付けてしまったと思います。

ところでレイモンドの超人的な計算力と記憶力は自閉症ではなく、サヴァン症候群によるものです。

まあ、当時はそのあたりの線引きは曖昧だったと思うので「自閉症には特殊能力がある」といったような描写になっていますが、「自閉症の人がすべてサヴァン症候群とは限らない」ということを最後に付け加えておきます。

 

 

しかし、これが28年前に作られた映画とは……アメリカ恐るべし、です。

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雑記帳

Posted by チャーリー